たちばな22号 昭和54年度発行
B5版128頁
表紙題字 鈴木勉(周智郡森町立三倉小学校校長)
表紙絵・カット 増元 有(周智郡森町立森中学校教諭)
あいさつ
| 研究誌「たちばな」によせて | 静岡県養護教員部会長 名倉美智江 |
| あいさつ | 静岡県教育委員会体育保健課長 伊村才次郎 |
| 徳育も学校保健のうち | 静岡県学校保健会長 太田鋼三 |
| 第12回関東甲信越静学校保健大会(保健主事・養護教諭)研究集会報告 | 裾野市立東小学校 芹沢一枝 |
| 第30回関東甲信越静学校保健大会参加報告 | 榛原郡榛原町立川崎小学校 内藤いち |
| 静岡県養護教員夏期研修会報告 | |
| 全国学校保健大会報告 | 沼津市立第四中学校 井口数子 |
| 浜松市立佐鳴台小学校 本間きく江 | |
| 東部地区 | |
| 中部地区 | |
| 西部地区 |
| 「健康の時間」の特設について | 富士宮市立大富士小学校 水越艶子 |
| 「ひとりひとりの健康を高めるにはどのような指導が適切であるか」 | 磐周第1班(袋井市・浅羽町)養護教員研修部 |
| 子供達が健康で安全な生活を送るための養護教員の働きかけ | 静岡市立長田北小学校 田村静代 |
| 最近とりくんでいる活動について | 岡部町立朝比奈第一小学校 竹下容子 |
| 地域社会やPTAとともに進めるむし歯予防と治療について | 伊東市立南中学校 島田俊子 |
| 本校の貧血検査及び対策のあゆみ | 掛川市立北中学校 杉山妃賢子 |
| 貧血検査とその対策 | 三ヶ日町立三ヶ日中学校 金原美智子 |
| 肥満児指導をふり返って | 下田地区養護教員部 |
| 脊柱検診を実施するにあたって | 清水市立第一中学校 久保紘子 |
| 昭和53年度保健新聞コンクール優秀作品 | |
| 県教育論文奨励賞受賞者一覧表 |
| <養護教諭のプロフィル> 袋井中の名倉美智江先生をお尋ねして |
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| この頃思うこと | 湖西市立湖西中学校 山本陽子 |
| 子どもってすばらしい。この子たちの成長に私の保健室経営が一助となるならば | 熱海市立第二小学校 藤井茂子 |
| 雑感 | 富士郡芝川町立芝川中学校 加藤晴美 |
| 経験して思うこと | 下田市立下田小学校 石原美保子 |
| 最近思うこと | 田方郡大仁中学校 赤池美智子 |
| 田方郡大仁小学校 青木明美 | |
| 生き生きと | 沼津市立今沢小学校 曽根優子 |
| 養護教諭になって | 清水市立浜田小学校 榑松久見子 |
| 肌 | 阿木多麻砂子 |
| 退職して思う | 前浜松市立城北小学校 河村貴枝子 |
| 養護教諭として | 前磐田市立磐田中部小学校 寺田みつ子 |
| ひとこと | 前相良町立相良中学校 四ノ宮まさ江 |
| ひとこと | 前富士市立吉原小学校 影島トミ子 |
| 実態 | |
| 名簿 |
会誌「たちばな22号」編集委員
○名倉美智江 芹沢一枝 茂 洋子 川崎カツ子 栗林栄子 中村あき子 林 典子
研究誌「たちばな」によせて 静岡県養護教員部会長 名倉美智江
本年度もここに,研究誌たちばな「22号」の編集のはこびとなりました。この研究誌の編集にあたっては,皆様の日常実践に役立たせたり,活用させるということと,県下全域の養護教員の動向などを知り合うという意味で巾広い構成を考えて進めて参りました。お陰棟で皆様からの貴重な体験集録や,研究集録を寄稿下さり初期の目的が達成できましたことを深く感謝申し上げます。
さて,私たち養護教員も年次が進むにつれ増加してまいりました。しみじみ健康教育の重要性をうらずけるものと確信すると同時に,今後養護教員に期待されるものも大であることを,ひとりひとりが真剣に受けとめ,現場実践を推進することが急務であることを再確認すべきでありましょう。養護教員の役割は,明治時代に学校看護婦として出現し治療面が主体的職務であったが,その後,疾病の看護だけでなく,発育期にある児童・生徒の健康管理と保健指導を担当するようになり,学校教育法や第28条に,「養護教諭は児童の養護をつかさどる」とされ,さまざまな人がさまざまの解釈により保健経営がすゝめられていて,教職員も一様でない理解で今日におよんだことも確かであったと思います。
しかし,昭和47年12月の保体審の答申では,「養護教諭は,専門的立場から,すべての児童・生徒の健康および環境衛生の実態を的確に把握して,疾病や情緒障害,体力,栄養に関する問題等,心身の健康に問題をもつ児童・生徒の個別指導にあたり,また,健康な児童・生徒についても健康の増進に関する指導にあたるのみならず,一般の教員の行う日常の教育活動にも積極的に協力する役割をもつものである。このため,養護教員の専門的知識および技能をいっそう高めるよう,その現職教育の改善充実に特に配慮する心要がある。以上のことがらから養護教諭の主体的な執務が指向されております。答申を吟味し,健康教育の主体者である養護教諭は,ただ場あたり式の執務だけに終わることでなく,保健室の機能を今一度原点にもどして反省してみる機会であるように思われます。
保健室においてみる児童・生徒の実態は,多種多様な様相を示しており,社会不適応児の現象を見逃がすことはできません。このような現実において私たち養護教員は,ただ一人の専門職でありややもすると,保健室のみにとどめる傾向になりやすいけれども,教員の行う教育活動に十分に反映させ,健康教育の重要性を深化させることが大切でありましょう。
あいさつ 静岡県教育委員会体育保健課長 伊村才次郎
学校保健教育の推進につきましては,日頃より格別な御努力をいただき深く感謝しております。
おかげをもちまして学校保健は年々その成果を高めております。しかしながら,う歯・近視の被患は依然として高率を示しており,加えて近年は,児童生徒の心臓・腎臓疾患や脊柱側わん等の発生も見逃せない問題となってきました。また,インフルエンザ・プール熟といったシーズン病もその対策に手ぬきはできません。
このほか,学校安全管理,学校環境の整備・改善,健康相談,救急看護等その守備範囲は多面にわたり大変な重責を背負っているといえます。しかし,一方では健全な学校運営を進める上での中核としての任務をもつ誇りを持った職であるとも言えると思います。
養護教諭の地位向上が言われて何年か経過しました。このためには養教自身の地道な努力,真摯な日常活動が大切であることは言うまでもありません。肥満児指導や,う歯・近視の予防活動をはじめ諸種の保健指導で成果をあげておられる先生方も多く,それらの先生方は,多くの父母や教職員からも信頼を寄せられております。
保健指導は,個人差を重視する教育活動でもあります。慣習的な一律指導では成果はあがりません。更に大切なことは,それが知的教育に優るとも劣らぬ実践活動をともなった生命教育であるということです。
学校保健という重要なテーマに真剣にとり組み,ひとつひとつ効果的に解決していく工夫と,絶えまない実践・努力が益々大切なことになります。現代は「健康つくり」「体力つくり」の時代でもあります。その重要性は愈々高いものがあります。
この道をあづかる者として,日々の生活の中に安易に埋没せず,認識を新たにしていかねばならないと考えます。このような観点から,本会誌の発刊は重要な意義をもっているといえます。発刊を心からお祝いし,且つ,その有効な活用を強くお願いすると共に,学校保健の専門職である先生方の限りない御活躍を期待し,目標達成に向かって懸命に努力されておられることに深い敬意を表しまして挨拶といたします。
徳育も学校保健のうち 静岡県学校保健会長 太田鋼三
県養護教員部会の横開誌「たちばな」も今年で22号の発刊を迎えることになった。そして,その内容も増し,広く,且つ深くなり,慶賀に堪えない。今年もあいさつ文を依頼されたので,駄文ながら所懐の一端を綴って責任を終えたいと思う。
現代社会が,物質文明の極費の発達とそれに伴なう社会構造の複雑化,人間恩恵の混乱等のため,人間一生安楽平穏に生活し終えることは著しく困難となりつつあり,社会的悲劇が色々な形と規模で起っている。
ところで,学校保健会では,かなり前から地区的であれ,全国大会であれ,この世相をたくましく生き抜く子どもの育成を目指して総力を挙げて努力して来た。しかし,現状は必ずしも効果をあげたとは思われない。即学童の非行や,落らこぼれが毎日の新聞をにぎわしている。
思うに,人間生活の円満な発達と円滑な運営のためには,昔から言われている知育,体育,徳育の三要素がバランスよく調和して教育される事が肝要であり,これが教育の基本でもあると信ずる。しかも幼児期,即2〜3才頃からの躾が最も重要ではないかと思う。
然し,人間は昔から言われている様にその体質や生活環境,感情の現われ方,各種の能力の発達の遅速やこその限界は,百人百色であり,同一視することはできない。そこで,大変困難な事だが,個人個人に最も適した能力と状態を発見して,それを伸ばす事が要求される。
ところで,学業に関しては,我が国がその普及度において,かなり進んでいる方だと言われているが,問題は,所謂試験地獄であり,その弊害が長年叫ばれているが,その対策はあまり効果を上げているとは言えない。最近の傾向は,学業負担の軽減の方向に向かっているようだが,反対の空気も強いようだ。然し,万全の方法はあり得ない。とにかく最善と思われる改革の道を推進しながら,検討するしかない。
体育についても多くの問題が指摘されている。最近,まだまだ不足ではあるが,施設の普及が進み,各種の運動熱が盛りあがりつつあり,大変よろこばしい。
最後に徳育について考えてみたい。徳育といっても,他の知・体二者と密接に関連していて,互いに相関関係にある。即,人間生活を支える三本柱のひとつとして,学校保健とも開連なしとは言えない。欧米においてはキリスト教の影響が各家庭に浸み込んでいて,幼児教育に役立っていると言われているが,実社会の現状では,日本と大差ないように思われる。
以前では,日本でも老母が孫相手に種々の昔話を聞かせ,それが日本人の血の中へ浸み込んで,ひとつの家庭教育の一環として役立ったようだ。私自身も田舎で,仏教信心の篤い両親の中で育ったせいか,仏教の香が今でも身体の一部にしみ込んでいるように思う。即,仏教に心を寄せてはいるが,熱心な信者とは考えていない。
日本には昔から孔孟の影響を受け,社会生活を律する思想が行われ,独特の思想文化を形成してきた。親には孝,兄弟を愛し,朋友は信じ,博愛衆に及ぼし,しかも自ら持すること堅くと教え,これを教育の基本,人倫の道と考えた。このような考え方が,現代に最も必要なのではないか。また,日本に入り易い教育のように思う。即,現代に最も必要な教育は,徳育の涵養である。また,徳育も,学校保健の一要素と考えたいのである。
学校をるすにして出張することは大変なことです。「先生がいないと大きなケガがある。」とよく耳にする。私たちがるすの時に限り大きなケガがあるのではない。養教がいてもいなくても,ある時にはあるのである。ただ,他の教師が,養教がいないがゆえに気づくのであろう。
しかし,出張し,他の学校を見たり,講演を聞いたり,他県のようすを耳にすることは,一人の養教を幅広い養教にするという点で大変意義がある。何日か学校をるすにし出張するからには,ひとつでもいい何かを得て帰りたい。そして,現場にそれを生かすことが,出張を意味あるものにすることだと,改めて認識するこの頃である。
地区の役員になると,研修会をどう持とう。「いつ」「どこで」「どんな内容で」というように頭を痛める。そんな時,他地区ではどうしているだろうかなと思う。
研修会を考えた場合,養教という幅の中での研修,教員としての研修,人問としての研修等,内容を考えればきりがない。今の私たちには,どんな研修が必要なのだろうか。これは,私たちが仕事をすすめる中での問題点を考えれば,おのずと出てくるだろう。
私たちが,今,何を要求されているか,今,何を研修しなくてはなららないか,よく考え,研修に対する要望をどしどし役員に申し出なくてはならないと思う。
ある研修会の折、「養教の先生方は、学校保健委員会、保健だより、掲示物等の資料をつくる。しかし、その内容には、実態の掲載が少ないのでは…。つまり、本校の身長は県と比較して…というような相対比較はするが、なぜそうなったかまでの突っ込みがない。実態把握とは、なぜそうなったかまでをつかんで、始めて、把握したと言えるのである。資料を見たりする側から言うと、しっかり実態把握された資料を求めている…。」との助言者からのご指導があった。
私たちは、学校保健をすすめる上で、ひとつの問題があると、それを解決するために、実態把握・実践計画立案・実践・評価と順にすすめるが、そのすすめ方に、何か「あまさ」があるのではないだろうかと考えさせられた。
私たちのすすめ方をふり返える必要性を問われたご指導であった。
保健室で事務処理の手を休めた時など,ふと「みんなは,今頃何をしているかなあ。」「今,何を考えているだろう。」と思うことがある。
学校に一人の職種として,こんな気持ちになるのは,あたりまえのことかもしれない。でも,やはり気になるのだ。
「養護教員」という職業を持つ仲間として,お互に,悩みをうちあけたり,仕事のことを話したりして,仲間のようすを知り,自分をふり返りながら歩み続けることができると思う。
「仲間」私たちが,前進していくために,とても大切な同志である。
<養護教諭のプロフィル> 袋井中の名倉美智江先生をお尋ねして
国鉄袋井駅から西北に歩いて15分。広い運動場で体育をしている,生き生きとした生徒の姿が見えてきました。運動場の南側には原野谷川が流れています。
生徒数約700名。経営方針の一つに「学校安全教育推進に,全職員が一丸となってあたる」という項目があげられています。
正面玄関の2階から,1階中央の保健室へ伺うと,応急手当をしているところでしたが,にこやかに迎えてくれました。保健室は,一教室分の広さだと言われましたが,応接セットやタイプライターが置いてあっても,ゆったりした感じで,落ちつけるふんい気がただよっていました。
編集:さっそくですが,名倉先生は白衣というものを着られたことがありますか?…と伺うと,「この質問に対しては答えが10項目ぐらいあるんですよ。」と,ドキリとするようなことばが返ってきました。要約すると,
名倉:従来のスクールナースと言われた頃は,治療看護の場でしたから,白衣を着っぱなしでもよかったのですか,現在は健康づくり指導の場,管理指導の場という風に変わってきているわけですよね。児童生徒のイメージが,救急処置看護の場という考え方が強いけれど,それを取り除く意味でも白衣着用は望ましくないと思います。
白衣を着て校内巡視をするというのは,子供たちに与える精神的な面でも,又教育の場にふさわしい服装であるかどうかという面でも考えてみなけれぱいけないでしょう。
病院でも,機能的であり,精神衛生上にもよい作業衣にと変わってきている現在,学校での白衣が活動的であるか,又地震対策が叫ばれている昨今,こんな点も考えてみる必要があります。
その反面,静岡市のように,予防接種時の注射器を消毒して,直接医師の介助をする場合などは当然着なければならないでしょうが…。
と言われ,イギリスやソ連を見ての感想など参考にと話して下さいました。
編集:救急看護の話が出ましたけれど,臨床を経験してきた者でも事故の時の判断は非常に神経を使いますが,我々の学歴は多様なため,事務所におられて(指導主事として)学校訪問をなさった時など,そういった心配はなかったでしょうか?
名倉:心配がなかったというよりも,やっぱり臨床というものは経験がとても貴重になると思うの。いくら知識を持っていても,経験で応急処置に当たるということは大事なことで,そういう面では今の養成課程を出てきた人たちは,現場での信頼感が薄いということですよ。新任の研修会をした時“私が処置しようと思うと,年上の女の先生がとんで来てやってしまう”と言うんです。だから態度でも,自信を持って当たれるように努力していくことですね。それに臨床というのは,常に生命とかかわりあいを持っていて,間違いが許されないわけです。昔とは社会全般の意識が変わってきているから,誠意をもって当たることが大切ですよね。
それと同時に,やはり専門職制ということを,自覚しなければいけないですね。
−臨床経験がないと「こわいもの知らず」ということばのように,軽く考えがちですが,保健婦業務を経験しておられるので,殊更強く臨床経験の大切さを強調なさっていました。
編集:現在は個別指導の面などにも力を注がれているようですが,初回教育論文入選にはじまり望遠訓練に至るまで,実践力のある方だと伺っていますが…経過を…。
名倉:教育論文を出した頃は城山中時代ですが,校医が熱心な方で近視はもちろんのこと,全校生徒1日3回の尿検査をしたり,血圧測定をして,自律神経失調症の調査などしました。それを見ていた一般の先生方から勧められ,当初,養教は研究論文の対象外と言われたんですが,「学校保健における管理と指導」という全般的な論文を出してみたわけです。
近視対策は望遠訓練を中心にしたもので,今も続けています。
それと養教は保健室の機能を生かしていかなければならないということで,「保健室経営」を年度頭初に出します。
−拝見した経営書には「生徒の実態」「保健室の機能」「本年度の重点」「重点目標」「日常における指導の具体的目標」「学校保健計画の実践化」というポイントを中心に,4頁にわたって方針がビッシリ掲載されておりました。
又,「集中管理方式」という形で,生徒の健康実態を把握しておられました。
編集:ところで,「学校安全教育」の推進ということで力を入れているようですが…。
名倉:校内事故防止については綿密にやっているつもりでして,特に学級指導に力を注いています。だから,ロングの学級指導の時には,必ず私がビデオに入って指導をしています。
編集:それから「進路講座」を開いているということを伺ったのですが,どんな風な運営を…。
名倉:保健教育管理・指導は学校教育だけではない,ということから年3回,学年毎に実施しているので,そこに「健康講座」がくみ入れてあります。対象は保護者全員で,内容は特に保護者の責任においてしなければならないことを主にしていまして,
1学期については…学校病の治療について。
2学期……治療状況とか経過,月曜病とか健康づくりのこと,生徒の実態について。
3学期…1年経ったところで生徒に健康の反省をさせているので,それについての話など。
編集:資料づくりが大変でしょうけれど,そういう機会をつかんだという事は貴重ですね。
では,学校保健委員会の運営は?
名倉:1級8〜10名の出席ですから100余名集まるわけで,映画会と共に,学習を向上させる問題とか,しつけとか,性教育など扱ってきましたが,貧血の問題をとり上げた時は,貧血がグッと減ってしまうなど,効果がありましたね。
編集:有名無実という所もあるようですが,私たちがそういう風に持っていくべきなんですね。
さて,折りにふれ先生の持論を伺っていますが,当面県下の養教に望むことばを一言…。
名倉:やはり専門職であると同時に,指導・管理の教育者ということですよね。ですから保健室で救急処置をしていればという考え方でなく,学級なり,学校体制の中に入っていって,機能を果たすという事が大事だと思います。
それには,毎日の伝達事項だとか,指導事項が,ことばの上だけで終わるのではなく,1つ1つ細案を立てて,指導を充実させていくことです。そうするとおのずと保健室機能が,生徒にも,教師にも理解されていくのではないかと思います。
それともう1つは,養教ほど人材を必要とする職種はないと感じています。
非常に仕事の内容も多様化してきていますから,自覚して業務の遂行に当たってほしいと思います。
編集:どうもありがとうございました。いろいろな角度から話をしていただいたので,非常に参考になりましたし,今後の指針にもなると思います。
名倉先生は,県の養教部長をして居られるので,学校勤務は随分長いのではと思いましたが,経験年数は,まだ17年だそうです。経験年数以上の仕事をこなしている方だと感心いたしました。
常に前向きの姿勢で,よく勉強していらっしゃるし,又ご自分が知り得た知識・ニュースをうまく我々に伝達して下さり,いつもリーダーシップをとって下さる方です。
そうかといって,カタ物ではなく,旅行時のエピソードは数々あり,退職後はダンスホールでも開こうかなどというジョークもとび出すほど…。
事務所の地区代表者会の折などには,自校の資料をたずさえてきて下さったり,県の養教研修時には「養護の先生の必要性」や「将来の養護教諭像」など,細かいアドバイスから,我々の求めている点を適確な表現で講話して下さり・接するたびに,“がんばらなくっちゃー”という意欲を植えつけて下さる方です。
その上,言いにくいこともズバズバ代言してくれ,又それが快く響くのですから不思議です。
今後とも,新鮮さとバイタリティーをもって養教の主軸となり,我々をリードしていって下さることを念じつつ,別れました。
(西部地区編集委員記)
この頃思うこと 湖西市立湖西中学校 山本陽子
“養教生活10年の感想を”と原稿の依頼を受けました。新任で入ったのがついこの間のような気もするし,研修会の折,見なれぬ若い仲間が増えたのに圧迫感も感じるし,また若い先生から見れば少々口うるさい存在になりつつあるのでは…と思ったりしている。
養教という仕事は,学級担任こそないが,多くの子ども達と接し,名前も性格も自然と覚えていきます。学級担任のような深い結びつきのないことを,ちょっぴり寂しく思う反面,小さかった子が私より大きくなり「先生」と頭の上から呼びかけるのに,母親にも似た気持ちで接しています。
でも,時々養教というのは,不安定なむずかしい立場にあるなあ,なんとかしなければと思うことがあります。新任の頃は,他のことが眼に入らず,自分の関係する仕事だけを見つめ,思うとおりにならないと,よく腹を立てたものでした。でも,年をとり,心臓も幾分強くなって,ある程度,自分の主張を通すことができるようになりましたが,以前より,少しでも全体が見つめられるようになればなる程,学校保健をすすめていくことのむずかしさがわかるような気がします。本校の教育目標にも“心身ともに健康で創造性豊かな日本人になる”とあり,誰もが…健康が第一だ…と考え,健康な生活を願っています。しかし,現実には,授業,部活動の指導,研修,学級事務,その他と忙しく動き回っている先生方や盛りだくさんの学校日課の中で,私たちが理想としている方向に持って行くことがむずかしく,計画だおれになり挫折感を味わうことがしばしばあります。しかし,そうばっかりは言っておられません。学校の中で一人なのです。誰も変わりはできないのです。私を必要としている子どもたちがいます。繁雑な学校生活の中で,孤立することなく前進していきたいと思います。
10年のうちには,いろいろなことがありました。ソフトボールの素振を練習している所へ,鬼ごっこをしていて飛びこんでしまい,運悪くバットがあたり頭がい骨々折した子。原因不明の発作をおこし救急車を呼んだこと。しばしば腹痛を訴え保健室で休養していた子。「養護教諭は,医学的な知識・技術が不足している。勉強しなければ。」と言われた恩師の言葉を思い出します。ことあるごとに,救急処置はこれでよかったのだろうかと反省を繰り返してきました。保健指導や保健室経営のための知識や研修も必要ですが,専門職といわれる養教には,突発的な事故に備えての医学的な知識や救急処置の技術も欠くことができないことだと思います。
また,一校で一人の養教の支える力として保健主事との連携や地域の養教研修会の果たす役割は大きいと思います。校内での協力者からのアドバイスや,仲間同志の話し合い,先輩の先生からの指導を参考にして,常に新しい知識を吸収し,伸びていきたいと思っています。
子どもってすばらしい。この子たちの成長に私の保健室経営が一助となるならば 熱海市立第二小学校 藤井茂子
1年生の時,学校中で一番小さくて,クラスのお友だちからも,「ミエちゃん」とよばれ,マスコットのようだったね。じぶんのからだのことを話すことができなくて,先生の質問にも目をしばたかせて,だまっているだけ.本当に困りました。5年生になった今,ようやく自分のことを話してくれるようになりました。からだも大きくなって,1年生の弟のことをよくめんどうを見ているようです。おねえさんになりましたね。
幼稚園の時,左手の指をけがして,4本の指を切断してしまったえいちゃん。担任の先生がすごく心配して相談にきました。むじゃきな一年生のことばが,えいちゃんの心を傷つけやしないか,心の負担になりはしないか,とても気にかけていました。包帯にかくされた傷が見るからに痛ましかった。
あれから4年あまり,包帯をとった手で,鉄棒もできるし,そうじのほうきもじょうずに使います。時々みんなを笑わせて人気者です。
きずあとなんて,もう,なんでもない事。がんばったね。
SEKIさん,お元気ですか。あなたが卒業してから,3か月がたちました。欠席が多いということを耳にすると心配です。ぐあいが悪くなって,たびたび保健室へ来たあの頃,家庭で大へんなことかあったんだね。それで,あなたの心が耐えきれなくなってしまったんだね。先生も力になれなかったけど,自分の道は結局自分で切り開いていくんです。また保健室へ遊びにおいで。
頭痛もちで,先生を困らせているユカさんだけど,気がよくて保健委員の仕事を一生懸命やってくれています。ありがとう。
人には,それぞれの器があって,勉強のことはあまり入らないけど,人のめんどうをみたりするやさしさや思いやりは,キラキラかがやいている器です。
これからも,このかがやきを失わないでほしいと思います。
雑 感 富士郡芝川町立芝川中学校 加藤晴美
各種の養護教絢の研修会に出席し,いろいろな学校の保健活動状況を知るたびに,自分が新卒時代より何年か歩んできたその経過を考えさせられてしまう。児童数100名にも満たない山間へき地絞に3年,そして現在の中学校に転任してもう4年目にはいってしまった。2つの学校とも,自分が育った同じ町内にあるため,その地域の特性・子どもたちの気質というようなものはだいたい理解できるような気がするが,他地域との交流が少ないため,外部の状況を早くキャッチすることができず,もっと外に目を向けなければと思う。
現在の勤務校は,生徒数364名(各学年3クラスずつ)という小じんまりとした中学校であり,まわりを緑の木々,山々で囲まれた大へんのどかな所にある。従って町場の学校の状況等で聞くような,子どもたちの非行的行動などはあまりみられず,純朴である。…が社会的傾向,例にもれず,近年登校拒否的な行動をとる生徒が見受けられるようになってきており,その手だてがなかなか思うようにいかず,頭をかかえている現状である。私自身も勉強不足・経験不足のため,適切な援助もできないでいる。
中学校で養護教諭としての保健指導を行おうとする場合,どこの時間を利相するかということが最大の悩みである。個別指導はいろいろな場面をとらえて行うことができるが,集団指導となるとその時間のとり方がむずかしく,学校の諸行事・クラスの事情等に合わせてその場面を設けなければならない。利用できる主な時間というのは,昼休み時間・放課後という限られた時になりてしまうが,その場を大いに使って子どもたちと接し,保健指導をすすめていきたいと思う。クラス単位ぐらいで指導の場を設けると,話もしやすく,又子どもたちの反応もわかりやすいのでそのようにしている。
週1回の割合で近隣の養護教諭のおかれていない小学校へ援助に行かなければならないので,仕事が途中で中断したり,又気持ちの上でも忙しい時には落ちつかない。200名ぐらいの児童数の小学校ではあるが,養護教諭を必要としていることにはかわりはないので,なるべく早く養護教諭の全校配置がかなえられれば…と思う。
毎日の仕事に追われて,まとまった研究のようなものもできないでいるが,なにか重点的なものを決めて,それについて勉強していきたいと思っている現在である。
経験して思うこと 下田市立下田小学校 石原美保子
行事の流れに沿って年月が過ぎ去り,熱中していた,おどおどしていた年から今度は,じっくり考えて一歩さがって物事を見ながら,事をおしすすめていく姿勢へと変形し成長していかなくてはと思っています。毎年,一学期の終わりが近づくと,高学年の担任から女子の指導をしてくださいと依頼があります。私も一つ返事で何の抵抗もなく指導をしてきたが,これでいいのだろうかと考えてしまう。2年の学級で指導計画を立て,指導案を見せたところ,校長より「もう少し慎重に考えてはどうか。子供への影響が大きく又,父母の反応が強い中」と言われ,実施できずに終わった。そんな事がきっかけとなり,私は性教育のあり方について研究してみようと思った。性教育的なことは各学級でもあまり指導されていないのではないかと思い,学年別の計画を立て指導に当たらなくてはといろいろ検討中ですが,とてもむずかしく,担任に理解できないでいます。
今年は,5年生全員に各学級単位で,男女のからだのちがい・変化,なぜおこるのかなどを指導してみました。私にとって初めての試みでとても不安でした。資料をととのえたり,あちこちの参考書を集めたりしてたいへんでした。5学級のうち授業で扱う資料を,ある学級は,プリント(解剖的なもの)と解説テープ。ある学級は,プリントとスライド。ある学級は,プリント・スライド・テープといったふうに変えてみました。担任は,3人参如してくれました。初めのうちは,わいわいとしていた子どもたちも,友だちの成長の話になると聞き入っていましたが,自分の事を話すとなると,わかっていてもなかなか言葉に出てこない,恥しさがある様子でした。
内容は,5年生には難かしすぎたかもしれないと反省しましたが,ある学級は静まりかえって,男子は驚き声も出さないでいました。あとで母親から,勃起があったが,どう話をしていいかわからなくて困っていたら,「お母さん,ばく勉強してわかったよ。」と家に帰って話をしたそうです。女の子の場合の生理はある程度,お母さんも話をするので理解できている子供もいるので,それほどの驚きはありませんでしたが,男の子も変化するんだと言う安心感のようなものがありました。次の日,女子の初潮指導をしたが,男子も女子だけ集まることに特別の興味も示さずにできました。心配していたより子供たちは,すなおに受けとめたようです。解剖的な面におわれて,心にまでふれることができなかったのが残念です。あと学級担任が深めていって,「人間としてどう生きていったらいいのか。」という指導の方向へ持っていってもらえるといいと思いました。
最近思うこと 田方郡大仁中学校 赤池美智子 田方郡大仁小学校 青木明美
最近の子どものあらわれを見ていると,家でどんな生活をしているのかなァ…と思うことがしばしばあります。どこにでも言えることかもしれませんが,当地区の父兄の意識は,必要以上に過保護的傾向の強いこと,わが子に対する期待も大きく,教育活動に対する協力は強固で,教育ママ的傾向が強い中で,その反面,無関心,放任・かぎっ子といった傾向も多くみられます。
小・中の養教の話しの中で,いくつか話題になることがあります。その中で,今どきこんな家庭があるのかとびっくりさせられます。たとえば,中2のS男・小6のU子・小5のM子の三人兄妹のことがあります。学校ではというと,教室の中ではあまり目立たず,友達もいないようです。服装はいつも真っ黒,臭気さえ感じさせ,身体は垢だらけ,それでも気にならない様子です。また,学校での必要諸経費も払わない(本人たちはそれが当然のごとく思っている),食事さえもままならない(生活保護を勧めても,父親が頑として受けつけない)といった状況です。家庭は酒飲みの父親だけで,母親は下のM子を生んで間もなく家を出てしまっています。そのため父親一人で三人の子どもを育てていますが,子どもに対してまったく関心がなく,家の中も驚くほど散乱しており,不衛生です。(役場厚生課や民生委員が指導に行ったが,拒否されている)現在,小・中の学級担任や養教等で生活指導をし,あわせて散髪や衣類の洗濯,時には,シャワーで身体をこすったりして,できるだけ身ぎれいにするようにしていますが,なかなか思うようにいきません。このようなことは,学校が立ち入ってまで指導する必要があるのかと思う毎日ですが,手を出さずにはいられない状態です。
また,この他にも日常よくあることですが,朝から具合いが悪く保健室へ来ている子どもがあります。そういう子どもに限って家を出る前から悪く,親も承知して学校によこしているようです。親の意識の中に,学校へ行きさえすればどうにかなる,何とかしてくれるというようなことが多くあります。子どもの健康よりも先ず親の都合の方が優先しているようです。
これらは極端な例かもしれませんが,家庭ですべきことが学校へ多々持ちこまれてきています。これは保健的なことに限らず,学校での種々な生活の中で増加しつつあるのではないでしょうか。
生き生きと 沼津市立今沢小学校 曽根優子
今年で10年目。10年ひとむかしというけれど,10年前の私と現在の私と,いかに進歩のない事か。「今年こそはこんな事を,今年こそは…」と思いながら,結局同じ域を抜け出ることができず,腹を立てたり,いやになったりのくりかえしです。
そんな気持ちを何とかせねばと思っている頃,機会があって,他県の養教で,50才をすぎている先生とお会いしました。その先生は,ご自分の自己紹介の時,「私はおばあちゃんです。年をとっています。でもいつもきれいでいたいと思っています。といってもこの年で,若い人のように,美しくはなれません。でも心は,新しい事をどんどん吸収して,若くそして美しくありたいと思っているのです。」とおっしゃいました。私は,その人を見ていて,アーこれだ!と思いました。年をとっていくにつれ,経験をつんでいくにつれ,新しい事に無関心ではいられないくせに,新しい事を自分のものにすることに臆病になっている人のなんと多い事でしょうか。自分より何代も若い人の意見を,心底,感動をもって聞けるその年配の先生。50才をすぎても自分の手弁当で遠くまで勉強に出てくる先生。いいナアー,きれいだなアーと思いました。
自分がこうだと思っていた事が,そうじゃないと否定された時,すなおになりにくいのが人間です。でも,ほんとうに納得できるように耳を傾けた時,自分の考えを否定されたとしても,正しいものを把んだ喜びのほうが大きいのではないでしょうか。といっても,納得できるまで真剣に意見をぶつけ合うということは,残念なから,今,少なくなってきています。でも,一歩ゆずって,他の場でならともかく,教育の現場で「子ども達の為に真剣に自分の考えを出す」という事ができない今の現状は,少々おかしいと思わざるを得ません。おかしい事をおかしいと感じて話した時,「そんな考え方をするのは,すねた考えだよ。」と言われれば,何の解決にもならずに,結局あきらめてしまって波風たてずにすませてしまう。そして「人間関係が何より大切だよ。」とわかりきったようなことばで問題を解消(ごまかして)してしまう。
筑波大学の森先生が,「本物の実践をしていけば,対立を起こそうとしなくても当然対立が起こってくるものです。又,養護教諭の仕事は職場の中でも,地域の中にも実践によって強いて対立を起こし,それによって教師とか,子どもとか,学校とか,地域とかを変革させ,前進させていくという本質をもった創造的な仕事だと思います。」と,「健」という雑誌に書いておられます。
仕事を離れた時,いっも心の底から笑って,話しのできる人間関係を大切にする事は当然の事ですが,でも,やはり,本物の「子ども達のため」の健康教育を考えていきたいと思うのです。
はじめに書いた,年配の先生のことばを聞いて,女性として,人間として,教育者として,養教として必要な事のなにかを,今一度,改めて感じとった次第です。私も三十路。年をとるのは,地球がまわっている以上,仕方のない事。でも気持ちは,年をとらずにどんどん若くなっていこう,いろいろな事を吸収しよう,と思わずにいられないこの頃です。
養護教諭になって 清水市立浜田小学校 榑松久見子
この4月に新採養護教諭として浜田小学校に就職しました。早くも一学期が過ぎ,もう6ケ月目に入りました。この間,各教科・道徳などの学習活動,業間体育や学校行事などの特別活動,職員会や職員室での先生方の人間関係,養護教諭としての仕事の内容や運営の仕方など,どれをとってみてもそうした日々の活動が私にとってすべて新しい経験でした。それだけに無我夢中でとり組んできたわけで,あっという間に通り去ってしまったような感じがします。
ある時,こんなことがありました。Aさんが友達数人と一緒に校庭で遊んでいるうちに鉄扉に頭をぶつけてしまいました。眼のふちに切傷を負って保健室に来たのです。傷口を見たところ,さはど大きな擦過傷とも思われませんでした。但し,それでもやはり専門医にみてもらうことを私のすべき適切な処置だと考えたわけです。でも,ちょうど保健室に居合わせた数人の先生方の意見を聞いてみたところ,「あっ,この傷なら大したことないよ。」との言葉がかえってきました。私も,「そうかなァ」と半信半疑でした。でも,たまたまAさんは反対側の眼に霰粒腫を痛がって医者通いをしておりました。今日も受診するということなので一言,「それでは,ついでにその時お医者さんにみてもらいなさいよ。」という指示を与え,処置をして帰しました。翌日,Aさんをみたところ,Aさんは2針を縫う治療手当を受けた事を確認しました。びっくりしたと同時に,その時の私の判断措置の甘さを痛感しました。こうした体験も私にとっては誠に大きな貴重なものであったわけです。この体験から私自身仕事を進めていくうえで,自分なりの確立された判断なり信念なりをもたなければならないと強く感じました。そして同時に処置の仕方については経験の豊富な多くの先輩や校長先生はじめ教頭先生,保健主事の先生などのご指導のうえで,適切な措置をすることがより妥当性のあることで極めて大切なことであると思います。又,日常の保健活動については,常に子どもの活動の中に入りこみ子どもと共に活動し,その中で充分な観察をし,よりよい保健活動ができるよう頑張っていきたいと思います。
肌 阿木多麻砂子
ちょうど,9月で1年になります。そして,かわったのです。私の肌が。と何の化粧かと,とびつかれそうですが,そうではないのです。
私の顛を,私自身を美しく(?)見せていたと思いこんでいたお化粧が,実は,神の創った実に神秘な肌を(皮ふ)を,めちゃめちゃにし,その代り,まっ黒く産まれ代わる危険をはらんでいるということを知ったのです。はじめは,半信半疑でした。「お化粧していない人なんていないもの」と。そのうちに,そういえば,いつも鏡にむかうたびに「黒くなったわい,化粧をおとした顔は見られない。でもよ,この位ぬれば地肌が見えなくなる。それにしても,口の囲りはすぐはげてしまうが,ちょっと黒っぽすぎるわい。」と,毎日少しずつビリと感じていたのです。でも,そのビリは,ビリリリーに変化せず,気がつかなかったのです。それでも,日曜日は化粧なしデーとしながらも,買物には,白粉と口紅で出かけていました。
それが,衝撃の一日から,きっぱり,さっぱりとやめてしまったのです。朝の顔洗いは水で,ビシャビシャザーザー。汗をかけば水道でビシャビシャザーザー。夜はおふろで,浴用石けんでビシャビシャザーザー。何をつけることなく1日。でも,世間の目は冷たいのです。こわいのです。「化粧もしないぶしょったいやつ」と思われるのは困るのです。で本を,職員室でまわしました。まっ黒い顔がふえました。あららに一つ,こちらに一つ。隣の学校にも一つ,二つと。
一週間目は,顔がつっぱりました。一ケ月たつと,カサカサになりました。がまんの一途。お互い顔を見合わせては「私も,あんな顔かしらん,あんな黒いかしらん。でも,もう少しはましかも。」三ケ月たつと,お互いに化粧やけの黒っぽさはなくなりました。「肌きれいになったね。」「うん。」決して「白くなったねー。」とは言えないのです。それは,私を産んだ母親の責任。太陽にあたる健康法をとっている私ですもの。そして今,ソバカス,メラミン色素の多い肌だけど,私の手は感じるのです。前にはなかった肌のつるつるを。季節の変わり目,風の強い日,すぐ荒れてしまう私の肌も,さわれば,肌の自浄作用で少しはましになりました。化粧なしで,女性を美しく見せるのは,健康と心のはりだそうです。それが問題なのだけど,またきょうも弱き子の味方になり,自分で自分を励まして,がんばっていきたいと思います。12年目の秋に,汽車の音が遠ざかっていきます。
退職して思う 前浜松市立城北小学校 河村貴枝子
7月のある日,編集委員の中村先生より「たちばな」の原稿を依頼され,こうして紙上でお目にかかることができました。3月30日離任式の日,これが最後の出勤でいよいよこの学校ともお別れかと,本当に淋しく思いました。帰りの時も,もう一度校舎を振り返ってみました。29年間の教員生活を振り返り,自分は一体今まで何をしてきただろうかと反省いたしました。保健の仕事,それはやればきりがないいし,やらなければそれでも過ぎてしまう執務内容です。学校長の保健についての関心の有無により,養護教員の意欲が違うこともたしかです。自分の能力以上のものを引き出してくれる校長先生もいるし,持っているものを充分に出しきれないでいる養護教員もいると思います。執務内容も密度の高いものになりました。29年間張りつめていた気持ちが,タコ糸の切れたタコのように,何かフラフラと空に舞っていくように空虚な気持ちで一杯でしたが,家庭生活にもなれてきました。
6月には,カリフォルニアツアーで8日間の旅をしてきました。広いアメリカ,地図でしか見たことのないアメリカ・ロサンゼルス空港に近づいた時,まず機中から見た広大な土地に目を見張りました。ロサンゼルス・サンフランシスコ・メキシコへも行ってきました。縦横にどこまでも続く高速道路,どこまで行っても無料です。ディズニーランド,ナッツ公園へ行った時は夏休みに入ったばかりで,どこも親子連れで一杯でしたが,公園のどこにも紙くず,煙草の吸いがら等が落ちていないことには感心いたしました。きびしい家庭教育のあらわれと思います。退職してからこうした旅行ができること,家庭のこと,近隣のつき合いが何の気がねもなくできることが何よりです。
私は養護教員として皆様にこんなことを心がけてはしいと思います。よく「魅力ある教師」「魅力のある人」という言葉を耳にします。人間的に魅力のある養護教員であってほしいと思います。学校内にひとりであるために,どうしても担任の協力がないと保健は推進していきません。人に接するに人間としての魅力,あたたかい人間関係を作りだすことだと思います。わざとらしさがなく,自然に発揮する魅力,これは平素の心掛けでできると思います。一匹狼でやらなければならない養教です。時には指定した日に提出してくれない担任もあります。そんな時,ついかんしゃくを起こしたくなるものですが,いつもその人の立場にたって接するおおらかな気持ちでいれば,いつかは理解し協力してくれるものです。私達は常に専門的な技術,学問,教養を身につけていれば誰からも信頼されるようになると思います。それにほ健康第一,家庭円満であることです。養護教員発展のためにより高度な専門性を身につけ常に前向きの姿勢でご活躍いただきたいと思います。
「一日は歩き」「月は走り」「年はとぶ」とか申します。振り返ってみると本当にそんな気持ちがいたします。皆様方にはほんとうにお世話になり,ご迷惑をおかけして参りましたが,大過なく過ごす事ができましたのも皆様方のご協力の賜と存じます。最後に皆様方のご健勝を祈りつつお礼の言葉とさせていただきます。
養護教諭として 前磐田市立磐田中部小学校 寺田みつ子
養護教諭として,36年7ヶ月の勤務を本年3月末日をもって退職しました。そして家庭の主婦業に専念して,平和な日々を送り,早半年が過ぎ月日の過ぎることの早いのに,おどろいています。
ふり返ってみますと,昭和17年8月31日付けをもって,中泉国民学校(現在の磐田市立中部小学校)へ,学校看護婦として赴任しました。初めての経験で,不安な毎日でした。そして1年後に静岡県主催の養護訓導養成講習会へ1ヶ月間,静岡北高校まで磐田より通学し,検定試験の結果,養護訓導の資格を得て,磐田北小学校の大規模校へ転任となりました。そこで12年8ヶ月と長い間に戦中,戦後と,学校保健も大きな変化を,又養護訓導が養護教諭と呼ばれるようになり,養護教諭は教員定数の枠外となりました。私の一番育った時代でした。養護教諭として大規模校で一人ぼっち,現在のような養教部組織や研修会の機会にもあまり恵まれず,何をどのようにしてよいのか全く暗中模索な状態で,ただ一生懸命に前向きで進むことだけを心に誓い,私の母校でもあるこの学校で,悔いのない毎日を送りたいと学校保健にとりくみました。学校保健というものが少しずつわかりかけてくると,仕事があれもこれもと幅広くなって多忙な毎日でした。そのたびにいろいろな壁にぶつかり,一人で考え悩み,夜床について涙で枕をぬらしたこともありました。学校をやめて,病院勤務にもどりたいと思ったことも再三ありました。しかし,今ここで自分が弱音を出したら,自分の心に誓ったことに負けてしまう…。人生は何をやっても,苦労はつきものであり,その苦労を体験してこそ,養護教諭として一歩ずつ培われて行くものだと,自分の心に信念をもって,私なりに精一杯毎日を生きていくことに覚悟を決めました。養護教諭として,一生懸命活動すれば,一般の先生方より仕事が多くなったと叱られたり,又一般の先生より「出る釘は打たれるだよ。」となぐさめられ,力づけられました。悲しい想い出よりも,嬉しかった想い出の方が心に強く残っています。その一つに,同窓会に養護教諭の私を受け持ち教諭と同じように招待して記念品まで同じように戴いたことは,養護教諭で幸せだった,とつくづく感じました。
中部小を去る最後の日,児童とお別れの挨拶の時の感激も大きく,一生忘れることはないと思います。教頭が,転退職の職員を紹介して,それぞれにお世話になった子供たちに,手を挙げさせ,感謝の礼をさせました。私の時には,全員が手を上げてくれました。一校一名の養護教諭でも良かったと,つくづく思いました。又ふり返ってみて,私が養護教諭の道を選んだことは,良かったと思います。健康保持増進について学んだことは,自分にも大きなプラスになりました。お陰で,この長い年月を産休以外に床につくこともなく勤務ができたことは,ほんとうに皆さんのお陰でいろいろ教えられ,助けられて,無事に退職できましたことを改めてお礼申し上げます。
養護教諭のみなさん,前途に希望をもって,学校保健の推進に,心身共に健康な子供の育成にご精進ください。
ひとこと 前相良町立相良中学校 四ノ宮まさ江
思えば相良小学校に18年間,相良中学校に10年間,長いような…短いような…数々の思い出が浮かんできます。
退職後は,相良町の保健婦として,妊婦,乳幼児,成人,老人の健康指導にいそがしく,老骨にむち打って頑張っています。学校在職中は諸先生方ありがとうございました。
在職の 思い出遠し うろこ雲
ひとこと 前富士市立吉原小学校 影島トミ子
後進におくる一言と云うような立派なことなど一つもないので残念です。でもこれだけは言えると思うことかあります。
20年とひと口に言いますが,長い長い日時です。雨の日もあり風の日もあり,私は20年間に4校を勤務致しました。長くて7年,短くて1年,この20年間を心に残るような事故もなく過ごせ勤務出来ましたことを,神に感謝して居ります。児童生徒の心身の異常者,家庭状況の把握をしっかりして,病弱者の日常に心を配れたことが事故を未然に防げたことにつながるのではないかと思います。ある行事のとき勇気を出して,受持に,「この子は行事に加えないでください。」と言えることも事故防止の一つのこと,私共の職責から,堂々と言えることかと思います。今は20年間を事故なく過ごせたことを,心からよかったと,只々思うことばかりです。
630人これが,本年度の会員数である。「多くなったなあ。」と思う。これから先,全校配置にむかって,どんどん人数が増えるだろう。そんな中で,私たちは,この会を名実共に有意義な会にしなくてはならない。
そのためには,現在の実態を知り,未来にむかって,どんな歩みをしたらよいか,会員一人一人が考えなくてはならないと思うこの頃です。
春のおとずれとともに,静岡県養護教員部会誌「たちばな22号」が,発行のはこびとなりました。
「たちばな22号」は,前年度の4部構成を踏襲し,さらに内容において,充実するよう心がけました。特に,昭和53年度保健新聞コンクール優秀作品,県教育論文奨励賞受賞者一覧表を加え,会員相互の研究を深めるための手だてにしていただきたく掲載いたしました。
また,「仲間」には,養護教諭のプロフィールや,退職者の声も加え,幅を持たせました。
「現代の子どもは,蝕まれている」とよく言われる昨今です。子どもの健康を一番よく理解している養教として,今一歩の突っ込んだ研究が要求されているのではないでしょうか。
健康な子どもを育成するには,学校・家庭が共業して実践する時代と言われています。私たちがどう活躍するかによって「子どもの健康問題」がクローズアップされると思われます。私たちが活躍するための手だてに,また,参考に,この会誌が活用されんことを切に望んでいます。